人生考路

 自分自身もそうであるが、多くの人は会社員や個人事業主として働いている。では、なぜ働くのであろうか?

 自己実現したいからとか、社会に貢献したいからとか、生活の糧を得るためとか、色々な理由があるだろう。しかし、本当にそうなのだろうか?

 先にあげた目的を達成するためには、必ずしも働くという行為は必要ないかもしれない。つまり、働いているという自分自身の現実の姿を肯定するための、後付けの理由でしかないのかもしれない。それは、世間体で働いているだけではないのか?

 最近は、好きなことをして生きていこう、好きを仕事にしよう、ということがよく言われている。自分の好きなことって何?何の制約もなければしたいことって何?自分の人生なんだからそれをしようよ、って言われている。じゃあ、本当にしたいことって何なんだろう?それをまた考えるってことになる。考えるってこと、考えないと出てこないってことは、本当にしたいことが何なのか自分はわかってないんじゃないか?そもそも本当にしたいことなんて存在するのか?そんなことを考えているうちに、また1日が始まって仕事に行き、仕事に時間を費して1日が終わる。

 そんな中でも、自分のしたいことのために自己啓発の勉強をしたり、これが自分のやりたいことだと新しい世界に飛び込んだりする人がいる。また、自分のやりたいことだと思ってやっていたのに、気づけば、これが本当にやりたかったことなのかなぁと自問自答する人も出てくる。

 結局、いくら考えても、自分が何者で何をしたいのかなんてわからないんじゃないだろうか?なぜなら、自分の頭の中で考えられることは、それまでに自分が知ったことや経験したこと以上のことはないと思うから。それなら、何でもいいから何かをやってみるということだけでいいんじゃなかろうか?それも、社会貢献するとかいう大それたことじゃなくていいし、自分が好きなことかどうかなんてどうでもいい。YouTubeを見て無駄な時間を過ごしたと思っても、そこから何かを得ているはず。ギャンブルして酒を飲んだくれてるだけだと思っても、体を壊さず経済破綻しない限りは、他人に迷惑をかけなければそれでいい。仕事も嫌ならやめてもいいし、嫌でも続けないといけないかもしれない。それでも、その毎日の積み重ねが人生の全てであることは間違いない。いくら何を考えようが、好きなことしようがしまいが、自分が生きてきた事実はひとつしかないのだから。

 世の中で例外がないことは、人間はいつかは死に、時間は有限であるということ。その有限な時間を自分自身の精一杯で生きる。その結果に、有意も無意もない。そして、今この瞬間が人生で一番若いということ。年老えば脳が働かなくなり身体が動かなくなるということ。その事実をもってしても、今それをすべきだろうか。日々、自問自答していく。